自宅の明け渡しと破産管財人

わたしの伯父は建築会社を経営していました。
昭和40年代はかなり羽振りが良く、わたしも伯父にいろいろと買って貰った思い出があります。
伯父は長男で、当時は次男と一緒に仕事をしていました。そして羽振りの良かった長男は次男に家を建ててやりました。次男の家の名義は長男です。
二人の伯父たちにとって順風満帆な時代だったと思います。

やがて、仕事に翳りが見え始めると、次男は自分の会社を起こして独立しました。そのとき、次男は家の名義を自分に替えておけば悲劇は起きなかったのですが。

平成に入った頃には長男の会社は風前の灯になっていました。倒産するらしいぞ、という噂がわたしの耳にも入って来ていました。
独立した次男のほうは細々とやっており、長男の会社とは無関係でした。

ところが、次男はある日とつぜん体調を崩し、殆ど自力で歩くことができない体になってしまいました。ひとりで細々とやっていた会社も必然的に畳むしかありません。

それと重なるように長男の倒産、そして自己破産。

自己破産した長男は仕方がないとして、悲劇は次男にも降り掛かりました。長男名義のままになっている自宅の差し押さえです。

破産管財人という人物が次男の家にやって来て「○月までにここを出て行け」と言いました。次男夫婦は途方に暮れました。病気のために会社を畳み、障害者になってしまった老人に、住み慣れたこの自宅を出て行けなんて。

障害者が入居できる住まいはそうそう簡単にはみつかりませんでした。市営住宅や県営住宅に申し込むものの、全て抽選で外れてしまいました。だけど出て行く期日は刻一刻と迫って来ます。
入居先もみつからないまま障害者のいる老夫婦を追い出すのかと、わたしは腹が立って来ました。国も県も市も何もしてくれません。このまま、子供のいないこの老夫婦をホームレスにする気かと、わたしはどこかへ訴えたい気分でした。

思わぬ長男の破産で大きなとばっちりを受けた次男。

破産管財人のあの冷酷な物言いを、わたしは一生忘れないと思います。

小山節司 年齢

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